石巻を訪問してみてわかった被災地の復興の現状

石巻 宮城

夏は手汗が止まらない、どうもよねやんです。

東日本大震災が起きてから7年が経ち、被災地の現状を知るべく宮城県石巻市を訪問してきました。この記事を読んでくれた人が1人でもあの日を忘れないように、そして訪問のきっかけになればと思います。

被災地訪問のきっかけ

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7年前の3月11日、僕は中学校1年生の春でした。地震が起きたときは学校の掃除の時間、視界が歪むような大きな揺れは今でも記憶に鮮明に残っています。

すぐに校庭に避難し余震が続く中で帰宅しました。家に帰りテレビをつけると衝撃の映像が目に飛び込んできたのです。津波が町を飲み込む、映画でしか見たことのない映像でした。

あの時の衝撃は今でも忘れません。

あれから7年、毎年3月になると東日本大震災の話題はテレビでよく取り上げられるようになります。「あの時のことを忘れてはならない。」と口をそろえるようにメディアは現在の被災地の様子を発信します。

しかし、実際に見たことがある人は何人いるのだろうか。そう思ったきっかけは僕が日本全国を回ることを決め、一番最初に訪れる場所を決める時でした。

被災地の現状はネットで調べればいくらでも出てくるが、ネットの知識だけをひけらかすような薄っぺらい人間にはなりたくなかった。自分の目で見たものが現実で、その現実から今まで目をそらしていたような気がしたのです。

宮城県石巻市の現状

旧北上川沿い

 

JR石巻駅から石巻湾に向かうまでの旧北上川沿いを歩きました。

旧北上川河口部は震災時に無堤防だったため川を遡った津波での被害は甚大でした。川から離れているJR石巻駅付近はもともと地盤が低く、さらに地盤沈下の影響で5日間浸水状態だったそうです。

現在川沿いには道が作られていて堤防なども整備されている途中のようでした。

周りにはマンションやお店などもできており、徐々に元の暮らしを取り戻しつつあるように見受けられました。

7年たった今では道も堤防も整備され、街にはもちろんがれきなどはありませんでした。ただ、現在でも工事が進められている状況を見ると当時の被害の深刻さがひしひしと伝わってきました。

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石ノ森萬画館も行ってきました。

石ノ森萬画館は旧北上川河口付近に位置し、震災時には建物一階6.5メートル付近まで浸水し1階にあったものは全て津波に流されてしまったらしいです。

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いつ再開できるかわからなかった状況で、全国から応援のメッセージなどにより石ノ森萬画館を復興のシンボルにしようということで震災から1年8か月後の2012年11月17日に再オープンしました。(公式ホームページより)

復興のシンボルとして石巻への思いを後世へ残していこうという地元の人たちの頑張りが伝わります。漫画に興味がない人でも楽しめるので石巻を訪れた際は一度見に行ってはどうでしょうか。

日和山公園

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旧北上川沿いに位置する日和山公園。震災時は津波からの被害を逃れるために多くの人が避難してきたようです。後に紹介する門脇小学校の教員、児童たちもその一部です。

見晴スポットが3つか設置されていて、石巻を一望できます。

日和山大橋方面を見ると驚きました。

なにもない。

というのが正直な感想。駅から歩いてみた街とはかけ離れた光景でした。

川沿いを歩いているときには復興は進んでいて建物も道もだんだん整ってきているという印象でしたが、この光景を見て「ああ、まだまだ時間がかかるんだな」と改めて震災被害の悲惨さを感じました。

日和山大橋方面を除くと「世界人類が平和でありますように」という柱が立っています。震災後に建てられたものなのでしょうか。

人が暮らせる状況からはほど遠いことがこの光景からわかります。

日和山公園から石巻湾に向かって階段が通っています。ここを降りると海岸沿いまで出ることができます。

門脇小学校跡

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この石巻市立門脇小学校は震災被害にあったあと、この地域に通う児童が減ってしまったため石巻市立石巻小学校と統合され閉校しました。

門脇小学校は日和山を背にした位置にあります。震災時は教師たちの適切な指示のおかげで、学校にいた人たちを日和山までスムーズに避難させ被害者をほとんど出さなかったことで有名です。

スムーズに避難ができたのはやはり日頃の避難訓練のおかげのようです。

学校が海辺に位置していることから常に地震と津波に対する意識はあったのだと思います。

避難訓練は小、中、高校を通して嫌というほどやってきましたがどれほど多くの人が本当に地震にあった時のことを想定しているだろうかと考えます。

東日本大震災では大きな地震が関東にも起こったため学校にいた僕も校庭に避難しました。ただ、ものすごく怖かったのを覚えています。まさか地震がこんなにも怖いものだとは思ってもいませんでした。

そのことを考えると、門脇小学校の教員たちが常に最悪の事態を想定して誰よりも慌てずに避難誘導ができたことはすごいと思います。

石巻湾沿い

門脇小学校からさらに海岸方面へ。

海辺はまだがれきの撤去が終わっていないようです。土曜日でしたが整地のために作業をしている人がいました。

付近の道路はかなり整備されていて、住宅も増えているようでした。しかし、まだ信号は動いていません。

公園もあるようです。ただ、十分に人が暮らせる状況ではないので子どもの声は聞こえません。ほとんど人も歩いていませんでした。

工事現場には「復興するぞ!」の文字が。これを見たとき正直心が震えました。

復興にかかわる人たちは、いつもこのことだけを考えているんだと。

自分が東京で生ぬるい生活を送っていることに恥ずかしさすら感じました。

 

この道より奥の道は、この日は入ることができなかったのですがもう一本奥の道まで行けるようです。

石巻市復興状況

仮設住宅の現状

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復興と聞いて真っ先に思い浮かぶのはやはり住む場所についてです。

石巻市によると、現在石巻市の仮設住宅入居者数は1489人。

ピーク時が約16000人だったので入居者数は10分の1以上になりました。しかし今だ仮設住宅生活を強いられている人が1000人以上いることに驚きました。

元の場所に住居を再建するかどうかや高台への住居移転の意向の対立が未だ続いているため、7年かけても仮設住宅で暮らしている人がいるようです。

おわりに

初めて訪れた被災地。今まで震災に関心がなく、自分とは関係のないものだと思っていまし

しかし、ここで変わらず生活している人がいる。復興に携わろうと頑張っている人がいる。早く元の生活を取り戻したい避難所生活の人がいると考えると胸が痛くなりました。

自分が生まれる前に起きた阪神淡路大震災、先の熊本地震、自分の住んでいる場所ではないからと目をそらしてきましたが、自分の知らないところでも頑張っている人がいると今回の被災地訪問を通して実感させられました。

 

今まで震災は他人事だと思っている人、復興は誰かがやってくれると思っている人、そんな人たちにこそ一度訪れてみてほしいです。

今回は時間の都合上石巻市しか訪問することはできませんでしたが、いずれはできる限りすべての被災地を訪れこのブログを通して一人でも多くの人が関心を持ってくれればと思います。


プロフィール
この記事を書いた人
よねやん

車中泊で日本一周をしながら日本の魅力を発信中。主に車中泊情報や旅に役立つ情報をお届けしています。埼玉県出身。

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コメント

  1. […] 詳しくはこちらの記事「石巻を訪問してみてわかった被災地の復興の現状」を読んでみてください。 […]

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